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マネジメント・レポート MANAGEMENT REPORT

リモート社会のマネジメント

アバージェンスマネジメント研究所
主席研究員 広川周一

パンデミックが社会にもたらした変化は大きく深い。中でも我々ビジネス・パーソンにとって『リモート』なる社会形態の出現は激変と呼んでも大げさではないだろう。

その場に出向き、その場を共有して行われていた協議なり交渉なりが、空間を超えて行えるようになった。それがデフォルトになった。場所の制約から解き放たれて会し議する。便利といえば便利だ。

弊害もある。会議だらけで休む暇もない、という類のことはまだ可愛いものだ。厄介なのは『リモート』がもたらしたコミュニケーションの質の低下だと思っている。

リモートというコミュニケーション形態

コミュニケーションとは言語と非言語を介していて、かつ非言語の比率が多いことがわかっている(*1)。コミュニケーションにおける非言語なものとは表情や態度、口調に限らず、音色や色彩、香りなども含まれる。

『リモート』な状況ではこうした非言語な部分が制限されてしまう。画面オフともなれば、相手の様子を知る術は極めて限られる。その制限状態に我々は慣れてきてしまっている。

『リモート』は言語にも制限をかけている。例えばワイガヤなどは成り立たちづらい。発言者と発言内容が即座にわからないため、単にワイワイガヤガヤしているだけで、その効用はほとんど発揮されない。発揮されないどころか、複数ノイズに晒されるストレスだけが残るだけという状況もしばしば起こる。

場所の制約から解かれたことでコミュニケーションの量を増やすことは簡単になった。8時間ぶっ通しで別々の人たち相手に会議をすることも可能だ。可能だが、そのコミュニケーションから我々は何を得るのか。何を創造できるのか。何を決められるのか。

量だけが増え質が伴わない

『リモート』がもたらすコミュニケーション量の増加が、それに見合ったコミュニケーションの質を補えているとは云えない(*2)。伝えきれない、わかり合えない、関与しきれない、恊働が難しい、不満が募りやすい、関係性を維持向上させる努力が不調に終わりやすい。つまりはそういうことだ。

このことは何を意味しているだろうか。

『リモート』という社会形態は、その社会の非干渉性を高めるように作用している、と私は考える。伝えきれず、わかり合えず、関与しきれず、恊働が難しく、不満が募り、関係性が悪化する作用が環境のなかに埋め込まれているとき、我々同士の関係は、互いに干渉しない方向に動くのではないか。通じないなら関わらない。自然な流れだ。関わらないとは干渉しないということだ。

『リモート』がもたらす非干渉性

社会の非干渉性。なんと憂患な響きだろう。「他人のことなんて知ったこっちゃないよ」と言わんばかりに他者と関わり合うことを避ける。ネットワーク構造を持った社会の構成要素、つまり私たち一人一人を繋ぐリンクが細く弱くなり、所々が切れる。社会の非干渉性はネットワークを脆弱化する。

「何を大げさな」という異論が聞こえてくる気もする。内なる自分からも聞こえる。社会を繋ぐリンクは他にもたくさんあるのだから、リアル・コミュニケーションが『リモート』に侵食されたからといって、ネットワーク全体が非干渉的になる、とは些か飛躍のし過ぎだとも思えてくる。

社会の非干渉性

そこで一旦、『リモート』から離れて、社会というネットワークを巨視してみよう。社会というと範囲が広すぎるので、ここでは会社組織に絞ることにする。

前述の論考で『リモート』がもたらしかねない組織の非干渉性について考えてきた。『リモート』が「関わらぬ者同士は干渉せず」という状況を作り出していないだろうか、と考えてきた。

ここで皆さんに尋ねたい。あなたが所属する会社組織では、組織メンバーの互いへの関わり度合いはどのようになっているのだろう。同僚との関係は?上司との関係は?部下との関係は?

あなたの組織は『リモート』によって非干渉性が高まっただろうか。それとも、『リモート』の影響如何に関わらず「すでに非干渉性は高まっていた」と感じてはいないだろうか。

伝えきれず、わかり合えず、関与しきれず、恊働が難しく、不満が募り、関係性が悪化する、という現象は『リモート』に直接的な原因を求める以前から、すでに起こっていなかっただろうか。

理由は色々浮かぶ。そもそも会社として業績が伸びなければ、その組織はどこか陰鬱とした雰囲気になるし自分の仕事をやり切ることで精一杯になる。このところ労働力の流動性が高まり、異なるバックグラウンドを持つ人々と仕事をする機会が増えた。ポジティブな面も当然あるが、同時に「どこかわかり合えない」というネガティブさも孕む。

近年、従業員のエンゲージメントという言葉をよく聞くが、調査会社ギャラップが2022年に実施した調査(*3)によれば、日本における従業員エンゲージメントが強い社員割合は5%で、調査対象129カ国中128位だったそうだ。また、人材サービス会社ランスタッドの調査(2019)によれば、日本で「仕事に対して満足」と回答したのは42%と調査対象34カ国中最下位で、逆に「仕事に不満」が21%でこちらは同1位とのことだ(*4)。エンゲージメントが弱く仕事に不満な人々が、組織の中で他人にどんどん関わり合っていく、積極的に干渉していく、とは思いづらい。

このレポートを書き始めたとき、私は『リモート』がもたらすコミュニケーション上の弊害について論ずるつもりだった。その過程で社会の非干渉性なる概念に辿り着いた。 『リモート』の弊害とみなした『社会の非干渉性』について考えを深めたら、「それはリモートが主因なのか」がわからなくなってきた。『リモート』概念から離れて社会を今一度見直したとき、リモート云々に関わらず、社会が非干渉的になっているのではないか、という憂慮がよぎった。

ネットワークはノードとリンク

ネットワークとは、個体の集まりである。集まる個体同士は何らかのかたちで繋がっている。その繋がりをリンクと呼ぶ。そして個体をノードと呼ぶ。

人はそれぞれ唯一無二の存在であり、それぞれ違う。ネットワークに例えれば、一つとして同じノードは無い。それが自然の摂理だ。

ではリンクはどうだろう。古代ギリシア世界で最強の重装歩兵軍を誇ったスパルタ(*5)におけるリンクは相当ロバストだったに違いない。ではカエサルが率いた共和制ローマのリンクは?計8回に及んだとされる十字軍のリンクは?パパン、セイヴァリ、ニューコメン、ワットと連なる蒸気機関の完成に至るリンクは?起業時のHONDAにおけるリンクは?

ノード同士の干渉性を太いリンクが担保している組織は強い。リンクは関係者の相互作用の導線であり、関係者の繋がりを強くする。無論、繋がりが強ければ纏まるという単純な関係性ではないのだろう。反駁し合う同士が毎日顔を突き合わせていたら、喧嘩の数が増える。それでも「この面に関して私達はわかり合えない」という相互理解が生じれば、喧嘩もどこかで止まり、丁度いい塩梅のリンクが出来上がるだろう。そしてそのリンクはネットワーク上の別のノードたち、つまりは集団のメンバーに、わかり合えないAとBの安定した関係性を知らしめることになるだろう。AとBのリンクは細くても、その細さが皆の知るところであるのなら、集団全体としての安定感を保つために、その細さを補う作用が働くだろう。それはそれで、集団としてはいいわけだ。

「こんな感じでも、しょうがないよね」

ノード、すなわち個人でできることには限りがある。だから人間は社会性を獲得するように進化してきた。リンクを作って一体化しよう、という生存戦略である。

そのリンクが弱まっていないか。弱体化率は高まっていないか。その原因は非干渉性の高まりにある、と感じないか。ぜひ皆さんに問うてみたい。

「議論するけどさぁ、なかなか話が進まないし、色んな意見があるし、自我を通してもいけないし、きっとみんなそれなりに考えているんだろうし…、まぁこんな感じでも、しょうがないよね」

非干渉性の典型といえるようなつぶやきだ。ある程度は踏み込むが、どこかで線を引き、そこからは干渉しない。一見、他者尊重にも見えるが、実際には「事なかれ」が根底にある。真なるものを求めてお互いの考えをぶつけ合う、のを避けている。

論ずれど干渉せず。相違は見い出せど干渉せず。真偽に疑いはあれど干渉せず。「それがダイバーシティでしょ?」「干渉って上から目線でしょ?」「とりあえず総意は汲んでいるんだから、それでいいでしょ?」「インクルーシブだよね」。

本当にそうなのだろうか。

話題の出発点であった『リモート』はすでに霧消している。『リモート』が相手の様態をわかりづらくし、それが関係性の維持向上を阻害し兼ねないことが認知されつつあると思うが、『リモート』という社会様態が暴露したのは「だからやっぱりリアルだよね」という回顧の必要性ではなく、潜在していた社会的非干渉性ではないだろうか。

『リモート』は非干渉的な態度を誘発する要因ではあるが、真因ではない。真因は、非干渉的な態度を許容する、あるいは甘んじる心根にある。もしそうなら『リモートかリアルか』は浅薄な課題だ。

干渉する社会に期待する善

「『干渉しないことが悪い』、ってことは、『もっと干渉し合おう』ということだよね?だけど、皆、干渉されたがっているのかなぁ?自分は干渉されたくない派だし、百歩譲っても『誰が』、『どんな風に』干渉してくるかによって、受け入れられるか否かが全然違うよねぇ。よくわからないなぁ」

ここまでの論調に対する反論を表現してみたが、さて皆さんにはどう響いているのだろう。

話をかき混ぜるようで大変恐縮なのだが、私は上述の口語表現に同調している。つまり私は社会の非干渉性の高まりを感じそれを憂う一方で、個人としては干渉されたくないと思っている。

「干渉する社会における共善とは何か」。きっとこれが本論の隠微なのだろう。引き続き深思することをお約束して、今日は一旦筆を置くことにする。


*1: 非言語コミュニケーション(1987)M.F.ヴァーガス、新潮社

*2: リモートワークがもたらしたミドルマネジャーへの影響 ―コロナ禍におけるコミュニケーション機会の変化―(渡部 博志)2021, http://id.nii.ac.jp/1419/00001551/

*3: State of Global Workplace 2022 Report

*4: global report randstad workmonitor Q4 2019 work-life balance economic and financial outlook for 2020

*5: Wikipedia, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%91%E3%83%AB%E3%82%BF

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