アバージェンスマネジメント研究所
主席研究員 広川周一
機能体と共同体
組織に属したり、観察したりすると、そこには性質の異なる二側面があることに気づかないだろうか。一つは、組織がなすべき目的がはっきりしていて、その達成に合理的な組織形態や方針展開がなされ、進捗や結果が評価されるような側面である。一方で、組織の成員が強く結びつき、互いに支え合い、励まし合い、喜怒哀楽を分かち合うような側面も見て取れる。この二つの側面はその性質が全く異なるように感じられる。
ドイツの社会学者フェルディナント・テンニエスは、前者をゲゼルシャフトと呼び、後者をゲマインシャフトと呼んだ。ゲゼルシャフトは日本語では機能体と約されることが多い[1]。ゲゼルシャフトとは成員が各自の利益的関心に基づいてその人格の一部分をもって結合する社会であり、ゲマインシャフトとは成員が互いに感情的に融合し、全人格をもって結合する社会を指す[2]。日本語では共同体と呼ばれる。我々に馴染みのある企業社会とは本質的にゲゼルシャフト、つまり機能体と言えよう。そして、ゲマインシャフト、つまり共同体のわかりやすい例は家族である。
機能体的、あるいは共同体的性質の変化
よくよく考えれば、完全に機能体である、あるいは完全に共同体である組織や人の集まりは考えにくい。企業にも家族的繋がりを見いだせるし、家族にも目的をもって家族の個々人がその役割を果たすという側面も見いだせる。私には、片側に機能体、その反対側に共同体を置いた一直線上のどこかに附置されるかのような、そんなグラデュエーショナルな性質を様々な組織が有する様相が浮かぶ。
更に考えていくと、一つの組織の中にも小さな組織がいくつもあり、それぞれの組織は性質が異なる、つまりより機能体的側面が強かったり、その逆だったり、ということにも思い当たる。しかもその性質は不安定で、例えば組織のリーダーが変わるだけで性質が逆転することもあるし、時期によって、世の中の情勢によって、などなど様々な内的、外的要因で微弱に、あるいは大幅に性質が異なることが想像できる。読者の皆さんにも経験があるのではないだろうか。とにかく数字、数字と追いまくられていたのが、リーダーが変わっただけでメンバー間の助け合いや支え合いを大切にし、個人業績の好不調はチーム全体で補うようになり、メンバー同士の結束が非常に強くなり、「ウチのチームは家族的だ」と言う人が増えてくる…。このような変化だ。きっと逆のケースもあるだろう。
二つの組織体の特性
ここからは、機能体と共同体の特性の違いを考えていく。まずその目的だが、機能体にとっては成果をあげるが一番である。そのために組成された組織なのだから。一方、共同体にとってはそこに参加し、貢献することが目的と言える。
次に各組織体の評価指標の違いを考えてみる。機能体にとっては何らか定量的な、企業であれば金銭的な指標が挙げられる。一方で共同体では、そもそも評価指標という概念が適用しづらい。一緒にいることが目的だから。ただ、その組織において各自が各自をどのように見ているかといったある意味、情動的で定性的な見解は評価指標と言って差し支えないだろう。「Aさんはこういう人」、「Bさんとは関わりづらい」、このような主観的だがその共同体のなかでは共通認識化しているような、そんな見方、あるいは共通理解のようなものがイメージできる。
組織内で用いられる型について言えば、機能体はビジネスモデルやバリューチェーンなど目的を果たすために構造化されたフレームワークが当てはまるだろう。一方で共同体においては、チームにおけるメンバー編成やメンバー間の人間関係といったネットワーク的、あるいはリゾーム[3]的なものが思い浮かぶ。
組織内の通底ルールはどうだろう。機能体ではロジックがしっくりきそうだ。何をどうすれば、どのような機能を発揮するのか、それはなぜか。機能体に属するメンバーが常に考えるのは、このようなことである。一方で共同体はというと、マインドがそれにあたるのではないかと思う。組織成員が人であるがゆえ、互いの距離感を常に意識しながら自然発生する感情の総和がネガティブにならないようにしなければ、繋がりを維持できない。
最後にそれぞれの組織体に属するメンバーが必要とする知識について考えてみる。機能体においては、機能別のノウハウが最初に挙がるだろう。機能分担した組織において、それぞれの役割を果たすだけのノウハウがあるからこそ、総体としての目的が果たせるからだ。もう一方の共同体における必要知識は難しい。人間関係を上手に保つヒューマンスキルは必要そうだ。誰もが身勝手に振る舞っていては組織が瓦解してしまうから。それに加えて、人を動かす知恵も共同体における必要知識として挙げておきたい。権謀術数なる言葉があるが、そこまで利己的でなくても、集団がまとまりながら、参加と貢献を増やしていくためには、誰かが誰かを動かすことも度々必要になると思うからだ。
二つの組織体の特性を意識したマネジメント
ここまで述べた上で、マネジメントの観点から二つの組織体特性を見つめ直し、マネジャーが果たすべき役割について考える。なおここで対象とする組織は営利企業であり、その営利企業はベーシックな特性として機能体であるものの、共同体としての性質も無視できないレベルで存在する、という前提に立って論を進める。
前項では、目的、評価指標、型、ルール、必要知識、という五つの概念を用いて機能体と共同体の違いに触れた。これを一覧化してみるとわかるのだが、企業において事を為すためには、機能体的側面と共同体的側面の双方が必要となる。例えば、機能体の目的である成果を上げるためには、メンバーの参加と貢献が不可欠である。また企業における評価、例えばMBO(Management By Objective)のような制度は単純に定量価値だけを評価基準にしていない。そこには被評価者に対する定性的で成員間の共通認識となっているような見解も述べられる。型についても、ビジネスモデルをそのあるべき姿どおりに実現するにはチーム編成や事にあたるメンバーの関係性を無視できない。ルールについても、ロジックだけの組織は殺伐とするだろうし、実際、そういう組織はないはずで、必ずどこかにマインドの要素が含まれる。必要知識に関しても、機能別ノウハウだけを持ってさえいればそれで成果が出るとは考えづらい。組織化しているのは一人ではできないからだ。そうなれば多数が同一方向に向くようなヒューマンスキルや人を動かす技術が当然、必要になる。
こうしてみると、マネジャーが果たすべき役割とは、対象タスクや場面を正しく理解した上で、用いる特性を間違えないこと、ということが見えてくる。ロジカルな検討が必要な場面でメンバーのマインド重視をしてはトンチンカンな答えになってしまう。あるいは部下に対してヒューマンスキルだけを養成していても機能を果たすノウハウは身につかず、チーム機能は果たせない。このような見極めがマネジャーとして重要である。
個人的志向性となすべき役割の使い分け
例えばここに、まるで背骨がロジックでできているのではないか?と思えるほど、徹底的にロジカルなマネジャーがいたとしよう。それ自体は強みであるが、だからといってメンバーのマインドに働きかけるワザを有していなければ、チーム・パフォーマンスは上がらないだろう。「一人ひとりのマインドを気にしていてはいつまで経っても成果なんて出ない。ロジカルに正しいことだけを徹底的にやっていればいいのだ」とそのマネジャーは信じているかもしれない。その信念を否定するつもりはないが、場面に応じた柔軟性が求められるのも事実だ。その信念を曲げるのではなく、必要に応じて役割を演じることが求められる、と伝えたい。成果を厳しく追求することが必要なときもあれば、貢献を評価すべきときもある。マネジャーの信ずるものを棄却するのではなく、必要に応じて演じるのである。
以上、組織を基礎的概念である機能体と共同体に分け、それぞれの特性を見つつ、組織としてうまくいかせるためのマネジメントについて述べてきた。読者の皆さんにとって、何らかのお役に立てたのなら、幸いである。
[1] ゲマインシャフトとゲゼルシャフト(1957)フェルディナント・テンニエス, 岩波書店
[2] https://miyazaki-roken.jp/diary/post_355
[3] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%83%A0