アバージェンスマネジメント研究所
所長 広川周一
賢者は歴史に学ぶ
賢者は歴史に学ぶ[i]という。ならば賢者にならい、マネジメントの歴史を辿ってみれば、きっと何かしらの洞察が得られるはずだ。
ただし、この学び方には難点がある。マネジメントはその奥深さゆえ全体を捉えづらい。学問的にどの分野に属するのかもわかりづらい。経営学の一分野と考えるのが一般的なのだろうが、全ての人間集団にとってマネジメントは必要だと思うし、実際に用いられてもいる。また”マネジメント・セオリー・ジャングル[ii]”という言葉があるほど、その理論や概念は広範かつ多面的であり、その全体像を明快に捉えるのは非常に困難だ。全体像を掴めないものの歴史は辿れない。さて、どうしたものか。
その範囲を企業経営の範疇に絞るのであれば何とかなりそうな気がする。過去にマネジメント史に関する書籍を読んだ記憶もある。企業経営という範疇のなかで、マネジメントの歴史を振り返るのも一興ではないか。そう思えた。
もちろん、企業経営の範疇に絞っても相変わらずその範囲は膨大である。私は経営史の専門家でない。力不足は甚だしいが、かろうじて自分の手に負える範囲でマネジメント史を辿り、洞察を得てみたい。
歴史の分け方
歴史はその壮大さゆえ、いくつもの切り口を持つ。日本の一般的な中等教育では日本とそれ以外の国々を切り口として日本史と世界史を学ぶ。洋の東西を切り口とすることもあれば、宗教、科学、哲学などの分野別切り口もある。経営の範疇におけるマネジメント史にもおそらく複数の切り口があるのだろう。切り口の設定は難しい。同様にカテゴライズも難しい。ベン図を用いてスパッと腑分けできるものではない。マネジメント史を学ぶ材料には事欠かない[iii]が、切り口やカテゴリーを定めるのは難しい。
かような前提のもと、このレポートでは宮田薫氏の著作[iv]に記された定義や設定を参考にしながら、時代変遷を意識しながら後述するような切り口とカテゴリーを用いて切り分け、私見も交えながら書き進めていくことにする。読者のなかには違和感や異論を覚える方々もいらっしゃるだろうが、一つの説として鷹揚に受け止めていただければ幸いである。またこのレポートに記された史実に間違いがあれば、それは偏に著者である私の責任である。
振り返る意味
「マネジメントの歴史を振り返るのも一興」と思ったのがこのレポートの出発だと述べた。ここでの“興”、つまりおもしろみとは何だろう。このレポートをお読みいただいている方々それぞれが多様な“興”を感じて下さればとても嬉しい。まずはそれが一興である。
同時に、時代の最先端で次々に湧き出る経営技巧を取り入れながら、企業の成長やときに生存をかけて一心不乱に打ち込む方々をクライアントとする著者にとっての“興”もある。言うなれば温故知新なのだが、企業あるいは経営という概念の誕生以降、営々と積み重ねられてきた“当時の最先端”、それは思考法でもあり、技術でもあり、フレームワークでもあるわけだが、それら当時の最先端が積層化し、あるいは化学反応のように混成化したものが今のマネジメントだ。であれば、振り返って“当時の最先端”にあたることは、今のマネジメントをよりよく運営する助けになるはずだ。そこにおもしろみを感じる。
振り返りの切り口は時代の変遷にすると前述した。過去を振り返り、積層化された“当時の最先端”にあたることのおもしろみについても述べた。実際に著述していくと、ある一定期間に主流となった考え方とその代表的なアーティファクトがあることに気づく。そして、それぞれの考え方やアーティファクトは、今のマネジメントにも見出すことができる。それらを読者諸氏と共有できることを願いつつ、次項からマネジメント史を辿っていく。
合理性の追求
19世紀後半から20世紀初頭の最先端は、合理性の追求であった。ここで生まれたアーティファクトは“科学的管理法[v]”であろう。かのフレデリック・テイラーが著した名著のタイトルでもある。都市型工業の勃興とともに各地から集まった工場労働者は、”生身の機械”のように扱われていたという。もっと作れ、もっと働け、休むな、止まるな、怠けるな。機械のように扱われる人間に投げかけられる言葉はさぞ非人間的なものだったのだろう。この非人間性を批判しつつ科学的合理性を駆使して編み出されたのが科学的管理法である。タスク管理、作業標準化、ムダの排除、職能別組織などなど、テイラーの主張や方法論は今でもバリバリの現役である。そして、その後に出現したオペレーションズ・リサーチやサイバネティックスなどの計数的かつシステマチックな理論体系の素にもなっている。
この脈絡でのアーティファクトを振り返ってみよう。読者の皆さんの周りでは、タスク管理が行き渡っているだろうか。変遷を重ねる作業は都度、標準化されているだろうか。計測可能な行動は計画化され、実績とのギャップを把握し、改善ポイントを探り、改良できているだろうか。
人間性の追求
20世紀の中盤にかけては、人間関係論が盛んに展開されていた。メイヨーとレスリスバーガーらによるホーソン実験[vi]は有名である。クルト・レヴィンのグループ・ダイナミクスやエイブラハム・マズローの欲求5段階説、ダグラス・マグレガーのXY理論などなど、人間性を追求する諸説が次々と提唱され、相乗効果を生み出した。あえて分類するなら心理学の範疇に入る様々なアーティファクトが芽吹いた。この頃に産声をあげたモーティブやインセンティブ、モチベーションやコンピテンシー、モラル・サーベイや管理・監督者教育は今もマネジメントの焦点である。
この脈絡でのアーティファクトを振り返ってみよう。読者の皆さんの周りでは、管理・監督者教育は行き届いているだろうか。ホーソン実験が証明した「誇りが生産性を高める」に準じたチームづくりができているだろうか。はたまた脳科学の発展とともに明らかになりつつあるモチベーションなるものを組織パフォーマンス向上に活かせているだろうか。
組織の追求
人間性の追求とほぼ同じ時期に、組織開発も盛んに論じられていた。経営史を綴る諸論にはマックス・ウェーバーやチェスター・バーナードが当時を風靡した論者として頻出するが、浅学な私が知らない賢者も多数いたことだろう。
ここで扱う”追求”が生んだアーティファクトも実に多彩である。命令と服従を排除した参加型組織の原型やプロジェクト型組織、マトリクス組織、組織横断的活動、コーポレート・スタッフ機能、そして合理的官僚性など、現在の組織形態のほとんどがすでに採用され始めていたらしい。経営者のリーダーシップ論も垣間見ることができる。一時期、書店のビジネスコーナーに山積みされていたティール組織[vii]もまさにこの延長線上にあるといえるだろう。
この脈絡でのアーティファクトを振り返ってみよう。読者の皆さんが見渡す組織社会のなかで、参加型組織が奏功している例はどれほどあるだろうか。前述の“参加型組織”を“マトリクス組織”や“プロジェクト型組織”、“コーポレート・スタッフ”などに置き換えた場合、問いへの答えにYesはどの程度増えるのだろうか。
管理の追求
組織の追求とほぼ時を同じくして、経営管理の高度化が集団としての能力を最大化するための理論や実践形態として多く提唱された。経営管理と聞けばアンリ・ファヨールが浮かぶ。経営管理論の父との名声を博したファヨールが生み出したアーティファクトは、生みの親その人より有名かもしれない。指揮命令系統、専門性追求、スパン・オブ・コントロール、権限委譲、指揮の一元性、公正の実現、創意の奨励…。計画の重要性を唱えたファヨールに続く研究者は跡を絶たず、ファヨールの功績はまるで20世紀初頭からそびえ立つ摩天楼のようである。
この脈絡でのアーティファクトを振り返ってみよう。統制と権限委譲、スパン・オブ・コントロールと創意の奨励はバランスが鍵であり、難点でもある。また管理過程論の多くが仕組みに焦点化されているのに対し、人間集団とは共同体的であり人間的側面を有する。これまたバランスの妙が求められるものだ。ファヨールが1916年に著した「産業ならびに一般の管理[viii]」から100年以上経った今、我々の組織におけるバランス感覚はどこまで研ぎ澄まされたのだろうか。
経営の追求
見出しは経営の追求という曖昧な表現になっているが、ここで扱うのは経営戦略に関する諸理論や諸説である。20世紀初頭の偉人アンゾフやチャンドラーを始めとして、まさに百家争鳴であり、その状態はONGOINGである。さらに言えば戦略の軸を何に置くかの違いを元に繰り広げられる論議も活況で[ix]、戦略論同士の戦線は群雄割拠のまま今日を迎えていると言っても過言ではないだろう。その剣戟からほとばしる火花は企業価値の極大化に奮迅する勢力によって増幅され続けている。その熱量たるやおびただしく、企業戦略論がマキャベリやクラウセビッツが説いた軍事の理にその起源を持つことが肌感覚でわかってしまうほどである。
このレポートの文脈でいうところのマネジメントについては、ピーター・F・ドラッカーが第一人者であると私は信じて疑わないが、その他の賢人たちからも実に多くの学びを得ていることを記しておく。
かような事情でこの項からアーティファクトを拾い出すことは極めて困難だ。余りにも多くあり過ぎる。そこでシンプルにこう問うことにする。読者の皆さんが属する企業や組織ではマネジメントの目的、方法、手段をどう表現しているだろうか、と。
辿った歴史からの洞察
以上、マネジメントの歴史を辿ってみた。私の知識が少なすぎるために表せないこと、些少なりとも持てる知識をまとめきれずに示せないことがたくさん残っている。他方でヨチヨチではありながらも辿ったからこそ見えてきたこともある。
それはマネジメントの知恵として積層化した一つ一つを丹念に扱わなければならない、ということだ。マネジメントに関する新説は留まることなく出続ける。目新しさも手伝って皆の関心が向く。経営陣の共通話題として耳目を集めれば、「即、実践せよ」との号令もかかる。まぁ、それはそれでいい。しかし新説は積層化したマネジメントの表層に過ぎない。このことを肝に銘じておかないと、経営が浅薄になりかねないリスクもぜひ勘案してほしい。
この論考にお付き合いいただいた読者の方々も何かを見いだせていただけたのであれば、望外の喜びである。
[i] 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」ドイツの鉄血宰相と呼ばれたオットー・フォン・ビスマルクの格言とされる(Google検索)
[ii] “The Management Theory Jungle”, Journal of the Academy of Management, Koontz, H.(1961)
[iii] 例えば、経営戦略全史(2013)三谷宏治、ディスカヴァー・トゥエンティワン
[iv] 管理者のためのマネジメント理論―時代変化と発展の構図(1995)日本コンサルタントグループ
[v] |新訳|科学的管理法(2009)フレデリック・F・テイラー、ダイヤモンド社
[vi] Wikipedia「ホーソン実験」
[vii] ティール組織(2018)フレデリック・ラルー、英治出版
[viii] ジュール・アンリ・ファヨール(1916)、Bulletin mensuel de la société des industries minières
[ix] 例えば、戦略サファリ(1999)ヘンリー・ミンツバーグ、東洋経済新報社